Planet 9 from Outer Space
「太陽系にある惑星は?」ときかれると、多くの人は「水金地火木土天海」もしくは「水金地火木土天海冥」と唱えながら、太陽に近い方から(注1) 水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、( 冥王星)
と答えると思う。冥王星は実は 2006年に惑星でなくなったのであるが、これについて話し出すと長くなるので、とりあえず上の9つを惑星として考えよう。これらの惑星はいくつかのグループに分類することができて、その分類法も観点によっていくつかある。詳しくは「惑星の分類」などで検索していただきたい。
その分類の中で、 科学的意味はあまりないが,日本名の字数による分類というのもある。つまり水〜土までは2文字だが、天〜冥は3文字なので、これで2つのグループにわけることができる。それに加えて、前者のグループは地球をのぞいて曜日の名前と一致するが、後者は王様シリーズである。これはどういうことか? 実は前者は肉眼で見える(注2)ので、ある程度文明が発達した民族なら、古来から惑星と認識されていたのである。日本では中国の影響から五行の「水金地火木」になり、その五行の思想を別に適用した曜日と同じ名前になっている(注3)。 それに対して、天王星より外側の惑星は望遠鏡が発明されてから初めてみつかっているので、欧米の天文関係者が名前をつけている。そして欧米では肉眼で見える惑星はギリシャ・ローマ神話の神様の名前をつけているので、それにならって(注4)ウラヌス、ネプチューン、プルートと名付けられ、それを和訳して天王、海王、冥王となったわけである。 このギリシャ神話シリーズの惑星の発見物語はそれぞれに面白く、Wikipedia の解説などに詳しくあるので見ていただきたいのだが、特に興味深いのは海王星の発見である。1781年にイギリスのウィリアム・ハーシェルは彗星を探していて、いわば偶然に惑星をみつけてしまった。これが天王星である。それに対して海王星の発見は、土星の外側に天王星がみつかったのだから、それにつづけて手当たりしだいに観測をつづけていたら、天王星の外側に海王星がみつった! というような単純な話ではないのである。
このへんの話を理解するには、惑星の軌道をどうやって計算するのか、ということに少しふれなくてはならない。いや、惑星の軌道なら高校で習ったケプラーの法則でわかるではないか、面積速度一定の楕円運動だ、と思われる方もいるかもしれないが、ケプラーの法則がなりたつのは惑星が太陽の影響しかうけてない場合で、実際には太陽以外の他の惑星の影響があるので、ケプラー軌道から少しずれる。しかし、太陽系の質量の 99% は太陽に集中しているので、ケプラーの頃の観測精度では太陽以外の影響は無視して、楕円軌道としても問題はなかった。
しかし時代が進むにつれ、観測精度があがってきて、太陽以外の惑星の影響も考える必要がでてきた。とくに木星は惑星の中ではとびぬけて質量が大きいので、その影響は無視できない。そうすると、たとえば地球の運動を計算するには、太陽と地球とに加えて木星を考慮に入れて計算する必要がある。さらには,土星の影響も無視できない。これにはケプラーの法則は使えないので、もっと基本的なニュートンの運動方程式と万有引力の法則を使う。ところが困ったことに3つ以上の天体の運動は、厳密に計算できないのである。「 厳密に計算できない」ということの意味を話し出すとたいへんなので、興味のある方は「多体問題」とか「三体問題」とかで検索していただくとして、とりあえず近似的にしか惑星の運動がわからない。
で、この近似的な解を求めるには、いまなら電子計算機をぶん回すのが手っ取り早いが、海王星がみつかった 19世紀にはもちろんそんなものはないので、摂動法という技法をつかって計算していた。海王星がみつかった頃には、この摂動法という技法が高度に発達して、ニュートン力学のひとつの到達点と言ってもいいくらい詳しく調べられていた。しかし、この摂動法というのは精度を上げようとすると爆発的に計算が複雑になり、超絶技巧とも言える工夫と計算能力が必要になってくる。そして、海王星発見の立役者であるフランスのユルバン・ルヴェリエは、その摂動法の達人であった。
天王星がみつかってから、物理学者は腕のみせどころとばかりに天王星の軌道を計算したのであるが、その結果、当時知られていた水〜土星の影響考えた計算と、実際の軌道がわずかながらずれることが判明した。それを説明するために、天王星の外側にもうひとつ大きな惑星があるのではないか、という説が浮上したのだが、そこでルヴェリエの登場である。彼は1985(すみません,間違えました) 1846 年にその圧倒的な計算力を使って、天空のこの位置を探せばあたらしい惑星がみつかるはずだ、と予言した。そして自国フランスの天文学者に「 ここを探せば未知の惑星がみつかるはず」と知らせるのだが、フランスの観測家たちの反応は冷たいものであった。
そこで、ルヴェリエは知り合いであるドイツの天文学者ヨハン・ゴットフリート・ガレに手紙を書いて新惑星を探すように依頼した。はたして、手紙を受け取ったガレが観測をはじめてから一時間以内にに海王星は発見された。これはルヴェリエの計算精度が驚くほど高く、予言した位置と実際の位置が角度にして 1 度しか離れていなかったからであろう。実は同様の計算をイギリスのジョン・クーチ・アダムズもほぼ同時期にやっていたが、彼の予想誤差は 10 度ほどあった。アダムスもイギリスの観測家と新惑星探しをやったのだが、発見をガレにもっていかれたのは、この精度がひとつの原因だろう。ほかにも経緯があるので、興味のある方はたとえば Wikipediaの記事など参照されたい。この記事によると,ルヴェリエもアダムスも,地球からみてどの方向かというのは概ねただしいが,三次元的な軌道そのものの予想は正確ではなかったようである。 この海王星の発見はニュートン力学の輝かしい勝利と言える。それまで、既知の惑星の運動はニュートン力学で正確に計算できることがわかっていたが、それはすでに知られているものを、いわば後追いで説明するという行為になる。これは正解がわかっているので、理論のほうを細工してそれに合わせ込むということも可能になる。たとえば天動説の時代の周転円などは、実際の観測結果にあうように理論のほうをいじった結果と言える。そしてそれは正しくなかった。現在でもシミュレーションなどで、パラメーターをいじって結果が実験や観測にあわせこんでいくというのは、日常的に行われている(だから,計算機でシミュレーションとこうなりました,という話は眉につばをつけて聞かなくてはならない)。 それに対して海王星の発見は、理論から予測されたとおりの場所に未知の惑星が発見されたのだから、いわば「答え合わせ」が正解だったようなものである。これ以前のハレー彗星の回帰予測や大数学者ガウスの予言による小惑星ケレスの再発見の理論的予言などと並んで、「答え合わせ」がはなばなしい正解だった例と言えよう。 ところが皮肉なことに海王星の次の惑星探しはニュートン力学の限界を示す結果になった。次の記事でそれを見ていこう。 注2)実は天王星も目のいい人には見えるので昔から観測記録はあったが、あまりに暗くて公転速度も遅いので、惑星とは気づかれなかったようだ。
注3)中国の五行以外にも日本独自のもっとみやびな和名もあるそうだ。 注4)これは実はギリシャ・ローマの神様にしましょう、とすんなりきまったわけではなく、いろいろな思惑からいろいろな名前が提案されて、すったもんだして今の名前に落ち着いているというのが正しいらしい。たとえば、天王星を発見したウィリアム・ハーシェルは、天王星(ウラヌス)ではなく「ゲオルギウム・シドゥス」という名前をつけた。これはラテン語で「ジョージの星」という意味で、ジョージとはその時のイギリス国王ジョージ3世を指す。パトロンに媚を売ったと言われている。
(2024/04/20 初稿)